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シズの山と山野草

登山した山と山野草を追い求めています

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日本遺産玉島編

             日本遺産認定玉島編

 瀬戸内海に面する倉敷地域の倉敷・玉島・下津井の千石船寄港で栄えた港街の文化産業が日本遺産に登録されたのを機会に、歴史的な部分をカメラで追って見ようと考え、数回のシリーズとして編集したいと思っています。

          北前船と高瀬舟で栄えた玉島

 現在の玉島は、備中松山の城主水谷伊勢守勝隆侯によって干拓事業が計画され、1640年頃から始まったようです。この事業によって玉島沖に点在していた島が陸続きとなり現在の玉島となったものです。
 この干拓事業の安全を祈念し民の幸せを願って羽黒神社が建立され、一方では当時の運搬手段の舟を通すため、水路を造ったりと付帯事業も大仕事であったようですし、その遺産がそのまま残されています。


       日本遺産認定を祝すノボリなど
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       一輪の綿の花と綿実
 干拓地は塩分を含んでいるので塩分にも強い作物ということで綿花が栽培され、糸に紡ぐことによって織物産業をも発展させたものです。
     綿の花
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     実った綿
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       干拓前の玉島の島じま
 寛永時代の古地図から見れるように小島が多くあったんですね。現代は黒枠の更に下までが陸地です。 
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       一ノ口水門
 高梁川と水路でつなぐ運河(水路)で玉島までの高瀬通しの始まりです。
 新見・松山からの鉱石や山の幸を積んだ高瀬舟は高梁川を下りここの運河を抜けて玉島まで行き、帰りは北前船が積んできた海の幸や肥料などを運んでいました。この運河はスエズ運河より240年も早く造るれたそうです。
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       二の口水門
 この水門の開閉で水位を管理し、舟のスピード調整などを行っていたとのことです。一ノ口と二の口水門の距離は300 m程度あります。水路上流の構築物が一ノ口水門で、右の斜面が現在の高梁川堤防です。 
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       一ノ口水門の説明板
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       二の口水門の説明板
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       玉島まで続く水路の一部
 玉島まで約10 km強の水路ですが、しっかりとした石積の護岸で作られているようです。
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       玉島舟だまり案内板
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       舟だまり界隈
 案内板前の道路から奥に向かって舗装の下に水路跡があったとのこと。道路工事の掘り返しで見つかったとのこと。
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       舟だまり付近の水路
 正面右奥から海へとつながっています。山は羽黒山。
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       羽黒神社参道
 表参道石段は正面左側です。
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       羽黒神社
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       神社本殿
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       カラス天狗
 羽黒神社の天狗さんは、堤防の内側に大地が現れることを予告され、埋め立ての実行を見守ってこられ、これからもこの地に住まわれる人々を見守もられているとのことです。
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      西爽亭
 玉島を干拓し領地とした備中松山藩主の御座所にもなっていた柚木家の邸宅。1780年代に建築されたと伝えられています。
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       殿の出入り口
 玄関の門構えと殿以外の通行禁止の竹横棒が置かれています。
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       切腹の間(次の間)
 天井板は噴出した血のりを拭き取った跡が残っています。
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          玉島町並保存地区
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       新町問屋街案内板
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       保存地区家並み配置図
 写真をもとに漫画として描いたものです。
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       新町通りの一部
 大黒屋(安原倉庫暖簾の家)。1800年頃の建物で綿回船問屋の店舗として使用。
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       西綿屋
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       米屋 (回船問屋)
 1764年の建築物。大正時代に銀行として使用されたため建物下部が石造りになったとのこと。
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       西国屋倉庫の通り抜
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       仲買町・西町案内図
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       円通寺への道標
 反対側に連島の寶嶋寺までの距離が彫り込まれていました。海の守り寺として案内しているのでしょうか。
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      仲買町の通り
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       井出屋
 1793年にニシン粕などの肥料を扱う問屋としてスタートした。
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       造り酒屋(菊地家)
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円通寺

             良寛和尚と円通寺
 「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」をタイルに日本遺産に登録されたのを機会に、倉敷市内の対象物を追ってみようと思い、最初に北前船の往来があった玉島に行ってきました。
 良寛和尚が修行し逗留した円通寺。次回は西夾亭など歴史的建物などを被写体にしたいと思います。

 撮 : 12月1日

          円通寺建屋と庭
      和尚立像と本堂
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       和尚立像と本堂
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       庭園と良寛堂
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       庭園と本堂
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       白雲閣
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       良寛堂
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       白雲閣
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       良寛堂と本堂
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       本堂正面
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       鐘つき堂(鐘楼)
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       モミジ
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          石造りの童地蔵と十二支
       猪                   戌
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       酉                   申
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       未                   午
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       巳                   辰
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       卯                   寅
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       丑                   子
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